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三、還らぬ最後の出撃

三、還らぬ最後の出撃

 四月一日、伝令が「艦内警戒閉鎖トナセ」と走って伝える待望の出撃だ。
呉軍港を出航するに際し、私らと同じく、特攻出撃するため「菊水」を描い
た潜水艦の乗組員が「菊水」の鉢巻をした姿で、一所懸命手を振って私らを
見送ってくれたのには、全く嬉しさが込み上げて勇気百倍した。呉水道は狭
いので巨艦大和は別の航路とりひそかに、しかし悠然と出ていった。

 四月四日、徳山燃料廠に寄港し、沖縄に行くまでの片道分の重油を搭載し
た。そして、病人と海軍兵学校を卒業したばかりの少尉候補生らを艦より降
ろすようにしたが、彼らは是非連れて行ってくれと云って降りようとしな
い。しかし、お前たちは前途ある者だから、我らなきあとの海軍をしっかり
やってくれるのが貴官等の務めだぞ、と訓しやっとのことで艦から降ろし
た。彼らの凛々しい姿が目に浮ぶ。

 「四月六日一六○○最後の公用使が出るから郵便物託せ」と伝令が伝え
る。父母に出す今生最後の手紙。この手紙を両親が読まれる頃は我らは既に
此の世には無い。しかし、この特攻作戦も軍機なので勿論手紙には全然書く
ことは許されない。朝な夕な、武運長久を祈ってくださる年老いた両親も、
私の戦死を知らされた時には、さぞ悲しまれるだろう。必死を目前にした私
は、郷里に向かい、次の言葉を述べ心の中で、老父母に最後の決別をした。

 「私は、今まで帝国海軍軍人として厚遇されて参りました。選ばれた栄誉
を担い、国家悠久の大義に生きます。二十幾才の今日まで、何ら孝養を尽く
すことは出来ませんでしたが、靖国の御社よりいついつまでもお父さんお母
さんが元気でいられることをお祈り致します。泰冶は南太平洋海戦、ガタル
カナル、ラボール、ボーゲンビルの佐世保第六特別陸戦隊と九死に一生を得
たものです。泰冶よくやってくれた。仏坂家の名誉だぞとほめて下さるよう
な働きをすることを誓います。お父さんお母さんが眺められる南めいの海で
私の体は朽ち果てても、精神はいついつ迄も祖国日本をお護り致します。」

 雪風全乗員の気持ちも全く同様であった。振り返ると、徳山の桜がはる霞
にほんのりと浮んで見えた。これが、いよいよ桜の見納めか。我ら二十幾才
の若桜もこの日本の桜が散る頃には一緒の散るのだ。祖国よ、永遠にさよう
なら、我らの愛した山川を後に、白波を蹴たてて堂々と出港した。

 やがて三田尻沖で「大和」を目標として水雷戦隊最後の襲撃訓練を、四戦
速を出して胸のすくように縦横無尽に行った。

 艦隊の将兵一同、正に意気天を衝く。


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